特集 | 2016.3月号
効く、音楽
音楽ってなんだろう。空気? 親友?たまにしか会わない親戚の伯父さん?見えないからこそ、心に響く音がある。サプリのような効能書きはないけれど、音楽は私たちの心と暮らしにきっと効く。
自分の心に響く音を探して
「ピアノを弾き終えて客席の方に目を向けると、子どもたちが全員、まっすぐに私の方を見ているんです。真剣なキラキラした瞳で」
静岡市のピアニスト、小林摩湖さんは、音楽が聴く人の心に届いた時の喜びをこう語る。2人の子どもの母でもある摩湖さんは、ワークショップやイベントで絵本の世界を音楽で表現する活動に取り組んでいる。「ぞうのババール」や「いないいないばあ」など、子育てを通じて発見した絵本の魅力を、音楽の力でもっと豊かに実体験してもらおうという試みだ。
朗読する人の言葉と一緒に、摩湖さんはピアノで音の世界を加える。「ぞうのババール」のようにオリジナル曲があればそれを演奏し、なければ絵のイメージから即興的に音を付ける。時には作曲家として活躍する実弟の松谷卓さんと一緒に曲を作ることも。
「五感に訴える音楽には、作家の思いや作品が作られた背景を生き生きとリアルに届ける力があると思います」
音が加わることで想像力が刺激され、言葉を超えた心の深い部分で絵本の世界とつながることができるのだという。それは音楽が、ジワジワと心に効く瞬間でもある。
「どんな音楽が心に効くのかは人によって違います。音楽が心に響いた時は、人がその音に強く共感した時。どんな部分に共感したのか探ることで、自分自身の心の中を知るきっかけになってくれればうれしいですね」
小学校の体育館や公民館の一室、コンサートホール。そこがどんな舞台でも、摩湖さんの奏でるピアノの音は、私たちが本当の自分と素直に向かい合うことのできる場所へと導いてくれる。
音がつなぐ縁、人と人が紡ぐ音
カフェやレストランが、その日だけ音楽に満たされたライブ会場になることがある。ホールとは違い、アーティストの吐息まで聞こえてきそうな臨場感と、自分の家のリビングで生演奏を聴いているようなぜいたくなくつろぎ。古代インドのアショカ王の逸話、「未来につなぐ5本の樹の林」を店名の由来にした静岡市葵区鷹匠のPanchavati(パンチャバティ)でも、時折、そんな幸せなライブが開かれる。
いつもは自然農のお米や野菜を使ったヴィーガンスタイル(動物性の食材を避ける)のレストランだが、食を通して生まれた人と人とのつながりの中で、いつしか生の音楽も聴ける場所になった。
「店を始めたころはライブをやろうなんて全然考えていなかったんですよ」と店主の田中健さん。なぜか音楽関係のお客さんも多く、「ここで演奏させてくれない?」「こんなライブを聴きたいんだけど」という声で、自然と店に音楽というオプションが加わった。
「音楽も食も、地球とPanchavatiからのギフトという意味では同じかもしれませんね」と健さんは笑う。昨年はジンバブエの民族楽器ムビラの演奏家として世界的に活躍するガリカイ・ティリコティさんのライブを開催。アンティーク家具と作家ものの器が似合う静かな店が、その夜は熱いアフリカになった。
「演奏する人と聴く人の間にラインの無い、狭い空間だからこそ生まれるエネルギーが、店の中で循環しているような特別な夜でした」と奥様のひなこさん。5月には岡山在住のシンガーソングライター、ヤマモトケイジさんがギター1本を抱えてこの店に来る。
「彼はうちのFacebookを見て、ある日突然メッセージをくれたんですよ。この店で演奏したいって。僕も彼のサイトで演奏を聴いて、すぐに返信して。これも縁ですよね」(健さん)
一方でミュージシャン側も、ライブ会場では人と人とのつながりを大切にしている。
独身時代は地元大阪を中心に活躍、結婚を機に静岡市在住となったアコーディオン奏者・講師の西田世津子さんはこう語る。
「私にとってライブの魅力とは、いろいろなミュージシャンと共演することです。相手の音を聴いて、それに応える表現をしたり、相手も自分の音に反応してアレンジしてくれたり。どんなライブにも必ず新しい発見があります。間違えずにきっちり奏でた時より、即興で音を表現して弾けた時の臨場感は、何より刺激的で気持ち良いもの。多くの演奏者との出会いから、音の楽しさを学んでいます」
聴きたい人がいて、演奏したい人がいる。そんなシンプルな人と人とのつながりが、静岡の街に音楽のある場所を育んでいる。
ギターが教えてくれた私らしい歩き方
静岡市の酒井麻衣さんは、昨年6月からアコースティックギターの教室に通い始めた。
「彼氏と別れて、何か新しいことを始めようと思ったんですよ」
音楽を選んだのはごく自然に。楽器は、「いつも身近に置いておけるから」という理由でアコースティックギターを選んだ。
実は麻衣さん、高校卒業後、横浜の専門学校でプロを目指し本格的にボーカルの勉強をしていたことがある。
「若いから甘く見てたんですよ(笑)」と、かつての自分を懐かしむ。
ギター経験はゼロだったとはいえ、音楽は決して苦手ではない。先生とのマンツーマンのレッスンは順調に進んだ。そんな麻衣さんが壁にぶつかったのは、秋に迎えた発表会。麻衣さんの通うすみやグッディ大人の音楽教室では、エレクトーンやドラム、ボーカル等の生徒が集まりバンドを組み、ライブ形式で発表をする。
「課題曲はいきものがかりの『123~恋がはじまる~』だったんですけど、テンポが早いし、コードチェンジが難しくて全然、弾けなかったんです...」
仲間に迷惑をかけてしまうからと何度も発表会の辞退を考えたという。しかし毎日練習を重ねて、見事マスター。発表会は大成功だった。
「メンバーもみんな、優しくて。専門学校時代にも発表ライブの経験はあったんですが、当時の仲間はプロ志向なので、やっぱり雰囲気が厳しいというか、こことは全然違っていたんですよ」
誰かとしのぎ合うのではなく、のんびりと自分らしく音楽と付き合える環境が、今の麻衣さんには心地良い。「いつか弾き語りをしたい」という新しい夢も見つかった。