特集 | 2020.2月号

アステン特集

異国生まれのここの人

いつか知らない世界に直面したとき、自力でその向こう側へ橋をかけることが私たちにはできるだろうか。異国からやってきて、ここの人になった彼女たちのように。

布団のプロはロシア生まれ

 静岡市内の老舗布団店「綿久リビング」に入っていくと、いらっしゃいませという明るい声とともに、透き通るような肌の女性が不意に現れて驚く。望月ヤーナさんはロシア極東のハバロフスク出身。気さくな感じの日本語で、最新式の枕や羽毛布団の商品説明もよどみなくこなす、この店の4代目の若奥さまだ。
 ハバロフスクに遊びにやってきた望月英利さんと知り合い、結婚して14年。ここ静岡で二人の子どもを育てながら店を手伝ってきた。 「ここに来た頃は日本語も話せなくて、毎日家にいました。夫もお父さんお母さんも家族で店をやっているのに私はずっと一人。それをみんな心配して『お店に来てみて』と優しくしてくれました」
 店に遊びに行ってスタッフやお客さんとおしゃべりしているうちに、いつの間にか日本語も接客も覚えてしまった。お店のアットホームな環境が彼女を自然と「静岡人」にしていった。長年ベッドでしか眠ったことのない彼女が、日本の敷布団やマットレスについて勉強し、アドバイザーの資格まで取った。「『買った枕、良かったよ』と差し入れを持ってきてくれるお客さまもいます。誰かに元気を与えている実感がうれしい。静岡の人をもっと明るく元気にしたい」
 ヤーナさんが店に立つようになってから「店 が明るくなった」と夫の英利さんは言う。「言いたいことを嫌みなくストレートに言うんです。お客さまにも『こっちの方が似合う』などとはっきり言うのでかえって信頼されますね」。けれどヤーナさん自身は言い過ぎないようにしようと思っているところだという。「静岡の人と仲良くしていきたい。外国人であろうとなかろうと、合う人合わない人はいますよね。合わない人とどうしたら仲良くなれるか考えるのが、この頃楽しくなってきました」

ブラジルで育んだ人を思う気持ち

 取材にお邪魔すると、ブラジル国旗をかたどった豪華なケーキやフルーツサラダがテーブルに並べられ、まるでホームパーティーに招かれたよう。「ブラジルでは近所の人がしょっちゅう家に遊びに来るし、いつ誰が来てもいいように家には毎日お菓子を用意しています。誰かが来る予定の日はいちばんのごちそうで迎えます」と、オカムラ・モギ・ヨシコ・メリーさん(写真左)は言う。「日本人が脱いだ靴をそろえるかどうかで育ちが分かるというのと同じように、おもてなしの仕方で人の中身が分かると言われるの」
 日本人の父のもと、サンパウロで育ったメリーさんは日本に来て15年。父の仕事の都合で移り住んだこの土地に、最初はなじめなかった。バス停で会う人ともすぐ友達になってしまうブラジルとはあまりに違ったのだ。そんな彼女がここの人になれたなと思ったのは、来日して5、6年経った頃。「日本語がうまくなったと言われるようになってすごくうれしかった。言葉が通じれば誰とでも友達になれますから」。今では大好きな藤枝で大好きな富士山を眺めてずっと暮らしたいと思っている。
 一方、メリーさんのママ友、ルシマラ・ロドリゲス・ナカザワさん(写真右)はブラジルから来て8年になるが、日本語はまだ十分とはいえない。「子どもの幼稚園の先生など、周りの人の親切に助けられてきました」
 そんな彼女が「藤枝人」になった転機は、介護施設のヘルパーの仕事に就いたこと。「面接で、日本語が話せない私が働くのは無理じゃないかと言われたけれど、スタッフの中に一人、絶対できると信頼してくれた人がいたんです」。ブラジルでは看護師をしていたルシマラさんにとって、ヘルパーの仕事は天職だった。今では最初に面接をした上司も「あの時不採用にしなくて良かった」と言うほどの働きぶりだ。「自分が家族や神様に元気づけられているように、誰かを元気づける仕事ができて、感謝しています」とルシマラさん。彼女を「ルシさん」と呼ぶ心優しいヘルパー仲間と仲良くなると、日本語も目に見えて上達し始めた。施設初の外国人スタッフだったルシマラさんも、最近は3人の後輩外国人を指導するリーダーとして活躍中。人のために働ける喜びが、ルシマラさんをここの人にしている。

韓国と梅ケ島をつなぐキムチ

 韓国・ソウル出身の安明錦さんは2年前から「梅ケ島の人」になった。山深い梅ケ島温泉郷と安さんをつなぐのはキムチだ。
 夫との結婚を反対されて二人で韓国を飛び出し、日本に移り住んだのは24年前。当初は毎晩泣いていた安さんも、言葉の壁を乗り越え、新宿に夫婦で焼肉店を開き、18年をそこで過ごした。お店は繁盛し、安さんの作るキムチも評判だったけれど、夫が過労で体調を崩したのを機に、田舎で暮らしたいと考えるようになる。
 山梨や群馬、長野と10年がかりで探し回って、二人ともここだと思ったのが梅ケ島だった。「市街から車で梅ケ島に上っていく途中の風景が本当に気に入って。川沿いの開けた感じや、緑の茶畑がいいんです」。あのお茶の葉でキムチを作ったらおいしそう、と安さんは思った。韓国では、キムチに使う食材は家庭によってまったく違う。お茶の産地では茶葉を入れることもある。
 2018年の春、安さんは静岡市が募った「地域おこし協力隊」の隊員となり、梅ケ島に定住して土地の魅力を発信する仕事をすることになった。地元の人が住む家を見つけてくれるなど周囲の協力のおかげで、安さん一家はすんなり地域に入っていけた。「縁があったんだなと思います」。そんな周囲に背中を押され、安さんは梅ケ島流のキムチ作りにとりかかった。
 キムチという食べ物はすごい。その土地の食材を使えば、その土地の味のキムチになる。梅ケ島産のお茶や、梅園でとれたての梅を漬けた梅シロップ、木くらげにシイタケ、そして白菜。できあがったのは、辛くなくまろやかでヘルシーなキムチだ。「高価な原木シイタケもここには普通にあって、ぜいたくですね。何度も作ってもっとおいしくなるよう研究中です。アイデアを考えるのが楽しい」。安さんの手の中で二つの文化が混ざって、新しい味が生まれている。

取材・撮影協力 / 綿久リビング TEL.054-271-1512

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