特集 | 2018.1月号

アステン特集

書く、ことはじめ。

ペンを握って机に向かい、文字をつづる。人だけに授かった「書く」という知恵。近ごろ「手で書くこと」がめっきり減った私たち。その分手放してしまっているコトはないだろうか。今一度、手書きの素晴らしさに目を向けてみよう。書く、から始まる新しい年。

手書きで脳全体が活性化

 仕事でもプライベートでも、文字は「書く」より「打つ」が当たり前の時代。久しぶりに文章を書こうとすると簡単な漢字につまずいて、焦りを感じることも少なくない。遠い遠い昔から、私たち人間は文字を書いて文明を発達させてきた。手書きは何をもたらしてくれるのだろう。「書く」を研究している静岡大学教育学部の杉﨑哲子教授を訪ねた。
 「手書きすることによって、脳全体が刺激されるんです」と杉﨑教授。何もない状態から点画を作り上げていく行為は、さまざまな分野で脳を働かせるという。まず、頭に浮かべた文字を具象化する。文字情報が目から入り、耳からは書く音、毛筆なら墨の香をかぎながら書く。ぎゅっと筆圧を加えると、紙から触感も伝わる。頭では次々と言葉を浮かべ、文字に変換していく。パソコンやスマホには予測変換機能があるが、手書きの場合は自ら点画を組み立てて文字を形にしていくので、そこだけでも、脳の活動領域に大きな差が出る。
 「集中力にも影響する」と杉﨑教授は指摘する。例えば"掛かる"と書きたい時、変換キーを打つと〈架かる・係る・懸かる・罹る〉といったその場では不要な文字まで一覧で画面に出る。「書きながら次の言葉を考えているのに、余計な情報が入って来ると思考がストップして集中が途切れるんです。これが書き文字との大きな違いです」

目標を手書きして目に焼き付ける

 とはいえ、単なる伝達や大量に文字を書く場合は、パソコンが便利。せめて気持ちを伝える時は、手書きを心掛けたい。メールやプリントアウトした文字では、気持ちまではなかなか伝わりにくい。「『ありがとう』『これ食べてね』といった日常のちょっとした書き置きは、相手を思う温かさまでも伝えてくれます」と杉﨑教授。文化庁の平成26年度「国語に関する世論調査」によると、年賀状などは「手書きされたものや手書きが一言加えられたものがよい」と答えた人が87.6%に及んだ。書き文字は、人の心に届くのだ。
 手書きは、誰かの心にだけでなく、書いている本人の心にもじんわり染みるもの。「自分自身の心をコントロールするツールにもなる」という。例えば「明日もがんばろう」と筆ペンで元気な文字を書くと、目からの刺激になり、言葉をかみしめ気合が入る。そういう意味でも年の始まりに目標をしたためて壁に貼ったり、予定を手帳に書き出したりすることは、理にかなっているという。「手の動きで文字にすると、より深く記憶され、脳内に再生されやすくなります。さらにその言葉が目に入ると、文字がメッセージを発してくれる」という。「私は日頃からすぐ手書きでメモします。学生たちにも"メモ魔になれ"ってよく言っているんです」
 日頃から目標や思い付いたことを書き留める習慣を身に付けておくのもいい。

頭の中を図解で書き出してみる

 紙とペンで頭の中を整理する時、「図解で記す」という方法もある。常葉大学造形学部の安武伸朗教授は「図解思考は自分の頭で理解して、分類して記す。そうすることで、知識を自分のものにするので、よりクリエーティブな発想ができるようになる」と話す。安武教授が顧問を務める同大の未来デザイン研究会では、分かりやすい議事録「グラフィックレコーディング」について研究してきた。会議などの内容を、文字や記号、イラスト、図解でホワイトボードや模造紙にその場で手書きし、参加者の思考の発展を促す議事録のことで、各界から注目を集めている。学生たちは、年間10回以上全国の企業や大学に招かれ、実践を重ねてきた。
 大学1年から参加している同研究会部長の4年、水谷みなもさん(21)は、この活動を通して自身の「書く」にも向き合ってきた。以前はパソコンで授業のノートを取っていたが、いつしか手書きにシフトした。ローマ字を通して変換しながら文字を打つよりも、直接日本語を手で書いていく方が、自由自在に言葉や記号を操れると実感したからだ。「その分、頭に入る情報が違うって思いました」と水谷さん。読んだ本の内容を図解でノートにまとめ、考えを整理することもある。「ただ読むよりも頭の中に残るし、話のつながりが理解できる」と話す。
 米国の大学の研究では、パソコンより手書きでノートを取る学生の方が記憶力に長けているという研究結果も出ている。やはり文章であれ図解であれ、手書きが記憶力や思考力、想像力に影響を与えていることには違いない。

書いて心を整える写経

 書くという行為がもたらしてくれるのは、思考の整理だけではない。
 静岡市清水区横砂の「東光寺」では、毎月23日、誰でも参加できる写経会を開いている。元中学教師で副住職の横山友宏さん(38)は、「姿勢を正して書いていくうちに呼吸が整い、他を忘れられます。心がグラグラしていると文字も乱れる。普段、自分の心は客観視できないのですが、写経には心の状態が表れます」と写経する意義を教えてくれた。途中で雑念が浮かんでも、写経していると書く動作に集中するので、雑念に引きずられず、元の白紙の状態に戻りやすいという。
 1年前から写経会に参加している鈴木まゆみさん(40)=仮名=は、仕事はパソコンの事務作業で、プライベートの日程管理もスマホのため、日常では手書きからすっかり離れている。月に一度写経することで、書くことの喜びを感じているという。「写経している間は、仕事の悩みからも離れられて、書き終えた後は心がリセットされたかのようにスッキリします」と醍醐味(だいごみ)を語った。
 「書く」は人間の文明の原点。画面の上に指を滑らせて書いたメールやSNSと、文字でつづった手紙や日記とは、イコールでは結べない。自分のために、誰かのために。お気に入りの文房具を見つけて、書くことの喜びを今、もう一度かみしめたい。

取材・撮影協力 / 静岡大学 常葉大学 東光寺