特集 | 2020.9月号

アステン特集

紙と見る未来

ペーパーレス時代とはいうものの、依然、私たちはたくさんの紙に囲まれて、それが暮らしを便利にしたり、鮮やかに彩ったりしている。紙を通じて未来を見つめる人たちの思いを聞いてみた。

千年前から千年先へ

 私たちが古の出来事を学べるのは、当時の記録が残っているから。その多くが紙によってもたらされている。古美術品や史料の修理を専門に手掛けているのが、静岡市葵区にある墨仁堂。依頼品には掛け軸や文書(もんじょ)など、国宝や重要文化財に指定されているものも多い。
 「日本のもの以外に東洋美術品も扱います。日本はこうぞ、みつまた、雁皮でできている紙が多く、中国は竹の紙が多い、といった違いがあり、素材や傷みの種類を調査・分析した上で修理の方法を決めます」。そう話してくれたのは山口喜子さん。修理中の紙には一面に無数の虫の穴があり、小指の先にも満たない薄い紙片で埋めていく。繊細な作業は、息をするのもためらわれるほど。
 修理に使う紙の多くを自分たちで漉(す)き、厚みや色みを選んで使う。
 「今の時代、機械できれいな紙を作れますが、昔の紙は厚みが均一ではないし、繊維のむらもあります。穴が開いたところにむらのない紙を入れると目立ってしまう。鑑賞した時に目立たないよう、周りと一体化するように修理するのが、私たちの仕事なんです」
 使うのりも伝統的な「小麦粉澱粉(でんぷん)のり」。接着力が決して強いとはいえないのりをあえて使うのにも、もちろん理由がある。
 奈良、平安といった千年を数える時代を超えて今に残っているものは、幾度となく修理を施されてきた。先人が直した跡を一つ一つ確かめ、時には丁寧にはがして貼り替える。修理が前提であれば、求められるのは「はがれない」より、必要なときにちゃんと「はがれる」こと。作品そのものと共に「何を使い、どうやって直したか」を伝えることが、とても大事なのだ。
 「物によっては、虫の穴を一気に埋める技術や、レーザーカッターで紙を切り抜く方法も使うようにはなりました。でも、今まで修理に携わった人たちと同じように、50年後100年後にちゃんと直してもらえるようにしておきたい」

時代に求められる紙

 伝統的な技法で守られてきたものを、新しい技術で次の時代へ引き継ぐための紙も生まれている。特種東海製紙(長泉町)の紙のミュージアム「Pam」で、館長の千葉寿子さんが見せてくれたのは「文化財を保護する紙の箱」だ。
 「開発が始まったのは80年代。当時、文化財保存・保護の機運が高まり、それまで桐の箱で保管していたのを、紙で代用できないかと考案されました」
 文化財保存用の段ボール箱は弱アルカリ性の紙で作られ、酸で劣化する貴重な紙資料を中和して守る。長期保存が必要な公文書館などに使われている。
 いつも、時代に合わせて新しい紙が生まれてきた。国産初期の写真印画紙。鉄がさびない加工を施した、縫い針や自転車のスポークを包む紙。お菓子の箱や本の装丁に個性を添えるファンシーペーパーは、流行に合わせて色やテクスチャーが増え続けている。紙の変遷は、そのまま時代を映す鏡となる。
 同社三島工場長の友竹義明さんは、紙の特長を「加工のしやすさや必要特性をシート状に付与できる」と説明する。
 「保存用の紙は、封筒にしたり包んだりできるので、古い手紙や写真を入れて劣化を防ぐことができます。手術室で使うメスやはさみを一つずつ包装した滅菌パックは、雑菌は通さないけれど、滅菌ガスや蒸気が通るように紙の穴の大きさをコントロールしています」
 コロッケや総菜を包む紙は昔から同じではなく、電子レンジで温めても安心なよう進化し、金券には偽造されないために最先端の技術が注ぎ込まれている。水洗トイレの節水レベルの向上にあわせて、少ない水でも流れて溶ける採便シートに変化させている。
 「東日本大震災の際に、当社と有害物質を吸着する材料メーカーで有害物質吸着シートを共同開発し、現場で使われました。吸着した後の処分など、根本的な解決には時間がかかります。でも当時の『なんとかしなければ』という窮状に、紙で協力できたという思いはあります」(千葉さん)
 これからどんな紙が生まれるかは、私たちがどんな暮らしを望むかということと深く関わり合っている。

もっとも身近なところで

 最後に、紙とは切っても切れない人の話を。水口千令(ちはる)さんは、伊豆市修善寺を拠点に創作活動をする「紙切り作家」。使うのは一枚の黒い紙と小さな手芸用のはさみ一つ。「切り絵を始めたきっかけは」と話しながら、その手はくるくると紙を細かく切り続け、ものの3分ほどの間に一つの作品が生まれてしまった。
 「紙が好きで、いろいろ集めているけれど、作品にするのはいつも同じ紙。子どもが手にしてもある程度丈夫で、それでいて切り心地がよく、負担にならない厚さ。手になじむ優しい、普通の紙です」
 実家の店を手伝う傍ら、立ったまま手近な紙とはさみで絵を切ったのがきっかけ。作品を見た人が喜んでくれるのがうれしくて、以来、思い立ったら切れるよう、紙とはさみを持ち歩いている。旅先で出会った人に、自画像や風景を切ってプレゼントすることもある。
 小学校で子どもたちに教えると「お母さんに切ってあげる!」と、家にあるチラシや折り紙ですぐに作れる気軽さも魅力だ。身近だからこそ「作品として立派に飾ってほしいというよりは、おばあちゃんちの居間の壁で少しずつ色あせていくように、生活の一部として溶け込んでいくのがいいな」
 大きな木の側で笑っている少女は、いつか隣の席だったあの子かもしれないし、赤ちゃんを背負ったかっぽう着の女性は、いつも甘えさせてくれたおばあちゃんかもしれない。黒いシルエットに、見る人はそれぞれのノスタルジーと色を思い描く。
 水口さんの夢は「触れる切り絵」。「視覚支援学校で、子どもたちと点字用の紙で切り絵をしています。切りやすく触り心地がいいこの紙で、触れる切り絵を作りたい。それがどこかでお役に立てたらうれしいです」

取材協力 / 株式会社墨仁堂 特種東海製紙株式会社 カルノ造舟

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