特集 | 2016.5月号

アステン特集

土曜日の絶景を見に行く

バタバタの1週間を乗りきった週末くらいは「何かしなくちゃ」をやめてみる。気持ちをリセットしに出掛ける先は、にぎやかな観光地より、ほっと心和む、いつもの風景の中。新緑の色も、咲く花の種類も、刻々と移り変わっていくのを見届けに。

湖上の赤い鉄橋を渡る

 あちこちの絶景を見てきた人は、どんな「お気に入りの風景」を持っているのだろう?
 「全部の都道府県に足を運ぶのが今の目標なんです。もう40くらい行ったかな」と話す会社員の宮地彩優子さんに、大好きな場所へ案内してもらった。
 週末はじっとしていられないアクティブ派で、雪山ではスノーボード、湖ではボートに引かれて水面を滑るウェイクボードと、自然を満喫している宮地さん。よくウェイクボードを楽しみに訪れる大井川上流に、その景色があるという。
 島田駅から車で1時間半ほど、大井川に沿って北上。観光客でにぎわう千頭駅を過ぎてしばらく走ると長島ダムだ。「雨上がりだから心配したけど、今日は湖水がきれい」と宮地さん。ダム上流に広がる接岨湖は、周囲の緑に溶け込む深い色をしていた。
 湖には「レインボーブリッジ」と呼ばれる赤い鉄橋が架かり、日本唯一のアプト式電車、南アルプスあぷとラインが通る。おもちゃのような赤い電車や、湖の真ん中にぽつんとあるように見える湖上駅は、県外の鉄道ファンや写真ファンも引きつけるビューポイントだ。「ここからの眺めが、テレビCMで銀河鉄道の走るシーンとして出てきたんですよ」と宮地さん。やがて赤い電車がごとごとゆっくりと現れ、湖上駅で何人かの観光客を降ろし、またごとごとと橋を渡っていく絶景を見送った。
 「私、東京タワーとか赤鳥居とか、風景の中に赤があるのが不思議と好きなんです。風がない日は、とろんとした湖面に赤い橋が映り込んで特にいいんですよ」
 橋を歩いて渡っていると、湖面を通り過ぎていくモーターボートの後ろに、水面が大きくたわんでドレープをつくった。何もかもがゆっくりと動く、幸せな土曜日の風景だった。

変わっていく遊水地を歩く

 「麻機遊水地って、場所によっては外国の風景みたいで、なかなかレアな眺めですよ」という声を聞いた。
 麻機遊水地といえば静岡市葵区の郊外、県立こども病院周辺に広がる、約206haもの湿地帯。巴川の洪水を防ぐ遊水地として整備が進む一方、水辺の自然が今も残る、野鳥や魚たちの楽園だ。5つあるエリアの中でもよく知られているのは、池にかかる木道やトイレが整った第4工区だけれど、それはほんの一画。遊水地はとにかく広くて多様だ。特に、病院エリアの南から中央卸売市場付近に及ぶ、最も広い第3工区の景観が、このところずいぶん変わってきている。
 「つい2年ほど前まで、ここは人の背丈より高い草が一面伸び放題で、とても入れなかったんですよ」と、近くに住む中村幹子さんが第3工区を案内してくれた。最近整備されたという歩道を歩いていくと、外側の道路からは決して見えない、水辺の別世界が現れた。周りの建物も車道も人影も、いつの間にか草むらの向こうに見えなくなっている。すぐそばの茂みで不意に、ウグイスが鳴いた。
 「自然以外は何もないところ。だからこそ、鳥の声や季節の眺めに五感が働く気がします」と中村さんは言う。「考え事をして歩くのにはぴったりの場所ですよ」
 中村さんは20年以上前、医師の夫と共に遊水地に隣接する病院宿舎に住み、当時ののどかな田園風景に親しんでいた。それがしばらく静岡を離れている間に、人を寄せ付けない草むらに変わっていたという。「病院のすぐそばに自然があるんだから、患者さんが家族と散歩したり、一人で泣いたりできる癒やしの場になったらいいのにと思っていました。それで、病院エリアに接する一画に花を植える活動を始めたんです」。中村さんの呼び掛けで生まれた「地域の庭を作る会」は、すぐに草むらにのまれてしまう散策路を根気よく手入れし、季節ごとの花や作物を育てて、自然と人の暮らしを結ぶ貴重な接点になっている。「散歩に来た患者さんから『土手に上がれるようになったね』などと言ってもらえるとうれしいですね。これだけ広い遊水地ですから、こんな場所があってもいいなと思います」
 遊水地の眺めは絶えず変わっていく。

茶園の芽吹きを待つ

 静岡人には見慣れた茶園も、一番茶のみずみずしい新芽が輝く初夏の眺めは思わず見とれてしまう力を持っている。特に山あいの新緑に囲まれた畑の景色は格別だ。
 4月の初め、茶園のご機嫌を伺いに、水見色の里を訪ねてみた。
 藁科川の支流、水見色川沿いに100軒ほどの集落が点在している水見色地区は、静岡市が誇る山のお茶「本山茶」の産地の一つ。水見色という美しい地名は、かつて下流の大水に備えるため、川が濁っていないか見に行ったことに由来するとか。その名前がよく似合う、絵になる里だ。周囲の山々の斜面に広がる茶園は新茶シーズンを控え、いそいそと身支度を整えているように見えた。
 「ここは歴史のある茶産地で、10代将軍の徳川家治の時代に献上茶を出したという記録もありますよ」。そう教えてくれたのは、地元のお母さんたちが切り盛りする店「水見色きらく市」の勝山さん。軽トラを軽快に乗りこなし、里の絶景ポイントを次々に案内してくれた。「ここは山が崩れてできた土地だから、あちこちに神代杉が埋もれているの」「高山の池は昔、噴火口だったみたい」などなど。勝山さん、地元の隅々まで知り尽くしている。
 山道を突き当たるまで上り切り、里を見下ろす茶園へ。古い石垣が段々に並んでお茶の畝を支えている。「よく見るとところどころ大きな岩が転がっているでしょう? 昔の人が山の上から落ちてきた石を積んで築いた石垣が今もずっと使われているの。岩が日差しに温められるおかげで、岩の近くは少し早くお茶を収穫できるんですよ」と勝山さん。何気なく眺めていた茶園がたちまち貴重な歴史遺産に姿を変えた。景色一つ一つに物語があるのだ。
 地域の歴史を大事にしていたお父さまの影響で、小さいころから地元に興味を持っていたという勝山さん。水見色の里は「ほっとできる場所」と言う。「ここを訪れる人には、在所に帰ったつもりでくつろいでほしいなと思います」
 本紙が届くころ、水見色の茶園は新芽の鮮やかな緑に包まれて、訪問者を明るく迎えてくれるはずだ。