asten PEOPLE | 2018.10月号

asten PEOPLE

勝俣州和

タレント

今や本県出身芸能人の代表格、勝俣州和さん。短パン姿で元気いっぱいの“かっちゃん”も53歳と聞いてのけぞった。芸能界で長く愛される理由が分かる、人柄伝わるインタビューをどうぞ!

"争いが嫌いな静岡人。母が言ってくれました。「長距離を走るのだから、丁寧に生きればいい」。"

Q.ご実家は大家族だったとか。

7人きょうだいで僕が長男。それにじいちゃん・ばあちゃんがいて11人家族ですからね。家の中には社会があって、夕食のおかずを平等に分けたり、そこからトレードしたり。交渉術が鍛えられましたね。

Q.家族はどんな雰囲気でしたか?

おやじが本当に面白くて、夕食では(明石家)さんまさんみたいに子どもたちから学校であったことを聞き出していました。写生大会がある、スポーツテストがある...なんて話が出ると「目標は何だ」「じゃあ達成できたらみんなでおいしいものを食べに行こう」と言うわけです。するとみんな盛り上がって応援したくなるじゃないですか。おやじは柔道で国体に出場して、「御殿場の石原裕次郎」って言われるくらい格好も良かったですから、僕は大好きでしたね。

Q.芸能界を志したのはなぜですか?

目指してはいなかったんです。国語の先生になりたくて大学に入ったんですが、成績が悪くて4年の初めに教師にはなれないと分かり、次の日に大学をやめました。ただ、せっかく東京に来たのに何も得ずに帰るのもなあ...と。当時、一世風靡が渋谷で路上パフォーマンスをしていて好きで何回か見に行っていたんです。「ここに何年かいて根性だけでもつけて帰ろうかな」と思ったのが始まりです。

Q.どのような転機があったのでしょうか。

欽ちゃん(萩本欽一さん)の番組のオーディションがあるから行けと言われて、行ったら受かっちゃった。僕は特に面白いわけでもないし、武器が一つも見つかっていなかったので、「番組が終わったら御殿場に帰るのかな」と思っていました。欽ちゃんとは月曜から金曜まで移動も一緒。半年しか一緒にいられないと思って何でも話しました。話すうちに人として教わることがすごくあって、「一緒にいたら自分もこの人の十分の一くらいすてきになれるだろうか」と思うようになりました。タレントを続けたいというより、萩本欽一のそばにいたいと思ったんです。そしたら面白くなるために一生懸命やらなくちゃいけない。稽古にもより真剣になりましたし、さんまさんやとんねるず...とにかく面白い人の真似をして間やかわし方など必死に学びました。

Q.芸能活動の中で、ご自身の中に県民性を感じたことはありますか?

静岡の人は他人を蹴落としてまで上に行くっていう発想がない。僕も譲っちゃうタイプで、おふくろから「東京なんか行ったら苦労すると思う」と言われました。スタッフの中には争いをけしかける人もいましたけど、そういう人たちとはぶつかりました。CHA-CHAが活動していた時、人気絶大だったのは光GENJI。勝ち目がない。競うのではなく彼らができないことをしたい、と握手会をしたりサインや撮影に応えたりして、グループでファンへの感謝の精神を大切にしました。おふくろは「長距離を走るのだから、出会いを大切に、丁寧に生きていけばいいんじゃない?」とも言ってくれました。

Q.ロケで国内外飛び回っています。年齢を経て変わったことはありますか?

昔からやっていることは何にも変わってないんです。気付いたことを膨らめてふざける(笑)、ということを変わらずしているんだけど、20代では「要求したことをちゃんとやってくれよ」と叱られたのが、今は「ありがとうございます」って言われる。年を取るとそういう風に言われるんですね、人って(笑)。

Q.今後やってみたいことはありますか?

講演みたいなかたちで直接皆さんにお話しして反応が得られるような場が持てたらいいなと思っています。世間的に僕って40歳くらいのままなんだと思うんです(笑)。印象が年齢に追いつくころになったら求められることが変わってくるのかな、今は伝えたい話をいっぱいためる時期かな、と思っています。

PROFILE

1965年3月12日、御殿場市出身。88年、テレビ番組で司会の萩本欽一に見いだされ芸能界デビュー。番組内で結成されたアイドルグループCHA-CHAの一員としても活動し、以降タレントとして多方面で活躍する。「アッコにおまかせ!」(SBSテレビ、午前11時45分~)など出演番組多数。著書に「やさしくなるとうまくいく ノートに書きとめてきた教えと言葉」(KADOKAWA)など。