asten PEOPLE | 2019.7月号
片岡護
リストランテ アルポルト オーナーシェフ
ホテルアソシア静岡の「アルポルト静岡」は “西麻布の巨匠”と呼ばれる片岡護シェフが監修するイタリアンレストラン。巨匠と聞けば気難しそうな人物を想像してしまうが、実際インタビューした片岡シェフ、笑顔が絶えない。目で見て、口に運んで、感嘆の声をあげてしまうアルポルトの料理の原点は、シェフの茶目っ気あふれる人柄にありそうだ。

"物事の始まりと終わり。レストランにはドラマがある。"
Q.「アルポルト静岡」はオープンから11年。あらためて始まりの経緯をお聞かせください。
実は、三國清三君(オテル・ドゥ・ミクニ)と落合務さん(LA BETTOLA)が「やってみない?」と紹介してくれたのがきっかけで、監修というかたちで料理が守られるという点で合致しました。それでうちから2人の料理人を出したのが始まりです。
Q.6月まで「日本料理 京都 つる家」とコラボメニューを展開されました。
静岡デスティネーションキャンペーンに合わせてホテルアソシア静岡の強みを生かしたことができればと思い、昨年アソシアに入ったつる家さんとコラボレーションしてみたらどうかと考えたんです。うちの料理は小皿料理。僕が最初に研修したのは「つきぢ田村」。もともと和っぽいテイストがあって、日本酒にも合うんですよ。四季を大切にしたり、麺にコシを求めたりと日本とイタリアの食文化にも共通点は多いんです。これはランチの限定メニューで...いくらだったかな。3,800円?! 安すぎるよ(笑)。でもこうやって新しい試みをしないとね。静岡の人ってグルメが多いですから。
Q.つる家とのコラボメニューは婚礼料理としても味わえると伺いました。
お祝いの席だからこそ感動してもらいたい。和のテイストが入るとお年寄りもうれしいですよね。
Q.プロフィールを拝見したところ、美大を目指されていたとありました。
デザインを学びたくて芸大を目指していたんだけど、見事に落とされたの!(笑)
母が外交官の金倉(英一)さんのお宅でお母さまの身の回りのお世話をしていて、僕も中学生くらいから留守番のアルバイトに行っていたんです。いろいろ食べさせているうちに、「この子の舌は確かだな」と思ったんじゃないかな。金倉さんが「今度落ちたらコックさんになりなさい。イタリーに連れて行くから」とおっしゃったんです。絵の先生の「片岡君、料理をするっていうことはお皿の上にデザインすることだよ」という言葉にも背を押されました。まだ1ドルが365円の時代。外国に行けるというだけでも価値のあることでした。
Q.ミラノではどのような生活だったのでしょう。
昼はイタリア料理、夜は日本料理。僕は何にも知らないで行っちゃったから必死でしたよ。金倉総領事の奥様が非常にできる方で鍛えられました。総領事は「あそこに行って教わってきなさい」「ここで食事してきなさい」とよく外出をさせてくださった。これは領事館や大使館ではあまり例がないことです。小皿料理に出合った「ダリーノ」もこうした機会に訪ねたお店です。
Q.アルポルトは「港にて」という意味だとうかがいました。
ミラノに「アルポルト」という魚介のおいしいお店があるんです。港は航海の出発地であり、立ち寄る所であり、帰り着く所。人生に置き換えると自分の店を持つというのはまさに出発でした。でも終わりがないんだよね(笑)。同じ名前を使わせてほしいというお願いを快くOKしてくれたミラノのアルポルトも今は娘さんが経営しているし、西麻布のうちの店も息子が仕切っています。
Q.静岡の皆さんにメッセージをお願いします。
ホテルの最上階というと高級そうで入りづらいかもしれませんが、パスタを食べに来てくださるだけでもうれしい。静岡の食材を生かした、ここでしかできない料理をお出ししています。旬を味わうフェアなど毎月何かしらイベントもしていますので、「アルポルトのサービスと味」をさまざまなシーンで楽しんでいただけたら幸いです。

PROFILE
1948年9月15日、東京都生まれ。68年、ミラノの日本総領事館公邸付きコックとして5年間勤務。代官山「小川軒」で修業後、声楽家・五十嵐喜芳氏が経営する「マリーエ」シェフを経て、83年、東京・西麻布に「アルポルト」を開店。独自の料理を完成させ、イタリア料理ブームの先駆けとなる。